国旗国歌の裁判

入学式や卒業式などの学校行事で、日の丸掲揚時の起立や君が代斉唱を指示した校長の職務命令について、全国の公立校教職員らが「強制は思想や良心の自由を侵害し、憲法違反」と相次ぎ提訴。

国旗国歌 訴訟

最高裁判決内容




考え方は個々の自由でしょうけど、それが行動として表に出たものに関しては、社会規範に抵触したら制約を受けますよ、のようなことも言ってます。
当たり前です。
自分の思想・良心の自由とか言って、なんでもかんでも嫌ならしなくても良いのか、好きだからやって良いのかって事なんです。
今回の訴訟は、そんな簡単なことではないでしょうけど、つまるところそういう話ですよね。

個人の、すごく大きな自由が日本では保障されていますけど、そういった権利というのはやっぱり節度を持って行使して欲しいと思います。

今回訴えた先生達も、組織内の指示に従わないという実力行使に出るのではなくて、もっと他に穏やかなやり方無かったんでしょうか。

世の中を良く知らない子どもたちが、ただ単にその行為だけを真似るということもありえます。




「○○すべきだ」みたいなもの言いは、それが絶対的に正しいということが分かっているから言える言葉だと思うんです。
絶対的に正しいってどうやって分かるかっていうと、自分は「ニュートラルの境地にある」というのが条件だと思っています。
ニュートラルってすごく難しい境地ですよね。

どっちにも何ににも偏らない。
偏らないってどうやって分かるんでしょうか。


もっとシンプルに、政治家みたいに、「私はそうしたいです。そうしたくないです。」みたいに言えないんでしょうか。
結局のところ、自分が「したいかしたくないか、して欲しいか欲しくないか」みたいな議論です。きっと。
それが正しいか正しくないか、そんなもの、自分の中では絶対正しいに決まってますけど、外に表してしまったら、みんなそれぞれにそういう思いがあるんですから、対立みたいなのが起こるんです。

それでもみんなで生きて行こうと決めたのだから、妥協点をなんとかお互いに探しましょう、みんなで楽しくやりましょうってのが、基本的な人の世のあり方じゃないかなと思っています。

そういった意味で、戦争なんて本当に最悪ですね。
人を恐怖で従わせる能力競いあってるんですよ。
そんなんで安心出来る世の中なんて絶対来ないでしょう?

ミサイルの代わりに花火上げて、どこの国の花火が人を一番感動させたか、どれだけ感動させたか、どれだけ喜ばすことができたか、そんな競い合いみんなでやったら嬉しいですね。
花火が楽しいとはいっても節度は忘れずに。


話の終着が見えなくなってまいりました。
すみません。
あと少しで終わります。




さて、燕市の議場には国旗や市旗が掲揚されていません。
その件について下記のように発言したことがあります。

「この議会・議場は何のためにあるのでしょうか。
私たち燕市民の生活にかかる重要事項を議論し、決定するためであります。
市民の代表者であり、その重要事項を決定する権限を与えられた私たちは、この議場において意思決定する際には、必ずや私たち市民の利益、国家の利益を顧みる必要があります。

私は、国家やその自治体・市民を観念できる代用物として、国旗や市旗というものを考えます。
日本の国旗については、かねてより歴史観などから、国民感情に賛否があり、国旗の扱いについては議論が差し控えられて来た経緯もありますが、この厳粛な場において、国家の象徴としての国旗と、燕市の象徴としての市旗を、掲揚し仰ぎ見ることによって、私たちは日本国民の一員であり、市民の代表であることを意識し、また、国旗と市旗を国民及び市民に見立て、その面前において、公明正大な議会運営を行うという責務を、強く認識出来るのではないでしょうか。
私たち市民の代表者が、私たち市民の生活にとって重要な事項を決定する議会において、今まで以上に市民、国を意識した、今まで以上に公明正大な議会運営による、今まで以上に公明正大な意思決定がなされ、より良い燕市となるよう、国旗市旗の議場での掲揚の必要性を感じます。」


初めての本会議一般質問でのこと、議会ルールに則らない発言でしたので、当然お叱りを受けました。



みなさん、国旗国歌についてどんなお考えでしょうか?



今日もありがとうございました。