男女共同参画社会

皆様お元気様でございます。

「男女共同参画社会の実現」

もう20年くらい

言われ続けている。(おそらく、もっとずっと前からある取り組み。)

男女平等という言葉を

当たり前のように聞いて育った世代と

まさに

男女の不平等を強く感じて生きてきた世代との

いわゆる

世代間ギャップというのを

この「男女共同参画社会の実現」についても

とても強く感じている。

そういった

立場によって異なる

いわば、偏りの認識をもって

実態にそぐわない

効果のない制度が作られてしまわないように

常に勉強が必要なのだが

残念ながら

「かつての知識」にとらわれて
(かつて勉強した人)

「現在の知識」を排除する向きもある。
(過去を踏まえた現在の考え方を勉強した人)



現在も、男女共同参画社会について

対立する議論がなされているが

これは多分に

もはや誤解というより

主義や主張に基づくものが大きいと感じている。




ことさら

「男女の個人としての尊厳」であるとか

「男女が対等な」であるとか

を強調している限り

その対立はなくならない。

むしろ、「男女」という言葉をことさらに用いて、

社会におけるその立場がどうとか言う以上は

性差が果たす役割をしっかりと認めたうえで(認めているらしいが)

男女共同参画の理念が構築されるべきなのだろうと思うし、そちらの方が分かりやすい。

それを勉強不足と言われれば

勉強しなくては分からないような理念なんて

意味があるのかと感じる。




男女共同参画への取り組みがはじまり

長い時間が経っている。

性差による差別をなくし社会的な処遇の改善にとどまらない、社会構造全体の変革を求めるこの取り組みは

言ってすぐにできるものではないが

少なくても、自分には取り組みの成果は表れているようには感じている。

少なくても、自分や自分より若い世代が社会を担う時代には

性差に基づく人権侵害という考え方は、殆どなくなっているのでないかと感じている。


以前予算審査の際、配偶者等からの暴力等についての相談窓口等の取り組みについて

そういった被害を受けている男性への配慮も求める発言をしたが

笑っている議員もいた。(その気持ちは分からなくもないし、別に嫌な気もしなかったけど)

突拍子もないことをいったように受け止められたのだろうか。

そういったように

世代間で、男女についての基本的な考え方に

大きなギャップがあるのだろうと感じています。




ようやく、燕市でも条例が提出されるであろう

男女共同参画。

別に遅れているなんて思わない。

ただ、今まで制定された他の自治体における本条例が

どの程度その目的を達することができているのか

それを検証することができる利益があると考えている。

だから

それら以上に、より実効性の高い条例となるよう

その文言を工夫していただきたい。

そして

そういった社会改革を望んできた議員も

ただそれが上程されて満足しているのではなく

遅いと非難するのではなく

そして

かつての知識の中でそれを評価しないで

現在の知識をもって、それをよいものにしていく提言を行うべきであろうと

自分は感じています。



傲慢さは

自身の成長を阻害するばかりか

社会的に責任ある立場の方が

そういった状態であると

社会の進歩を止めてさえしまうのだろうと

実感できる日となりました。







謙虚に

そして

自分を顧みることを忘れず

日々を歩んでまいたいです!



今日もありがとうございます。